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2025/12/28 19:08
日本にある多くのぶどう品種の中で、
産地の名前と切り離せずに語られる品種は、決して多くありません。
そのひとつが、
青森県津軽の鶴田町のスチューベンです。
鶴田町は現在、
スチューベンの日本最大の産地として知られています。
このnoteでは、THREE FARMとしてスチューベンと向き合ってきた立場から、スチューベンというぶどうをシリーズで掘り下げていきます。
第1回は、
「なぜ鶴田でスチューベンが広がり、日本最大産地になったのか」
その原点のお話です。
鶴田でスチューベンが広がったのは、約50年前
鶴田町でスチューベンの栽培が本格的に広がり始めたのは、
今からおよそ50年前のことです。
当時、日本の農業は大きな転換期にありました。
それが——
減反政策です。
米の生産を抑えるため、水田から別の作物へと
転換する必要がありました。
鶴田町もまた、
「米に代わる作物を何にするか」
という選択を迫られていた地域のひとつです。
米の代わりに、なぜ“スチューベン”だったのか
減反政策の中で、果樹や野菜など様々な選択肢がある中、
鶴田で選ばれたのがスチューベンでした。
理由は、決して偶然ではありません。
冷涼な気候でも安定して成熟する
病気に比較的強く、栽培リスクが低い
粒が大きく、当時の生食市場のニーズに合っていた
特に重要だったのが、
「冷涼な気候で育つぶどうであること」でした。
津軽の冷涼な気候と、スチューベンの相性
鶴田町を含む津軽地方は、
夏でも極端に高温になりにくい
昼夜の寒暖差がある
秋が涼しく、成熟期がゆっくり進む
こうした冷涼な気候を持っています。
スチューベンは、
一気に糖度を上げる暑さを必要とする品種ではありません。
むしろ、
ゆっくり時間をかけて熟すことで、果汁と香りを蓄えるぶどうです。
この気候条件が、
スチューベンの特性と非常によく噛み合いました。
日本最大産地になった理由は「続けられたこと」
鶴田町が日本最大のスチューベン産地になった理由は、
単に最初に植えたからではありません。
米作りから果樹栽培へ舵を切った農家の決断
栽培技術が地域全体で共有・蓄積されてきたこと
家族経営の畑が、世代を超えて守られてきたこと
作り続けられたこと
やめずに積み重ねてきたこと
その結果として、
鶴田町はスチューベンの日本最大産地になりました。
「育った」ではなく、「育て続けられてきたぶどう」
鶴田のスチューベンは、
気候が良かったから自然に広がったわけではありません。
減反政策という時代背景の中で、
土地と気候を見極め、
現実的で誠実な選択をした農家がいた。
そして、その選択を
約50年にわたって続けてきた。
だから今も、
「スチューベンといえば鶴田」
と語られるのだと思います。
いま、あらためてスチューベンを見るということ
50年前に始まったスチューベン栽培は、
いま、大きな転換点にあります。
担い手の高齢化
生食需要の変化
ぶどうの価値の再定義
だからこそ、
ジュースやワインといった新しい形で、
スチューベンの可能性を広げていくことに意味がある。
このぶどうは、
日本最大産地でありながら、まだ語られていないことが多い
——そう感じています。
次回はスチューベンの起源に迫ります
次回は、スチューベンてそもそもどんなぶどう?でどこから来たの、に迫ります。
シリーズとして、ぜひ続けて読んでいただけたら嬉しいです。
